2012年10月30日

【映画祭レポート】13日(土)アルテリオ小劇場/震災ドキュメンタリー特集

平日(9〜12日)も連日、多数のお客さまにご来場いただいた映画祭。
最終2日間(13日・14日)の模様をレポートします。今回は13日・アル
テリオ小劇場編
です。
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アルテリオ小劇場では、東日本大震災の記憶とその後の現実を語るドキュメンタ
リー映画2本を上映。震災直後から多くのマスメディアが足を踏み入れることを
ためらった場所に自ら進んで赴き、テレビや新聞の報道からは伝えられることの
なかった被災地の現実を撮り続けてきた2人の映画監督の作品を上映、その後
トークを行いました。

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1本目は佐藤武光監督の『立入禁止区域・双葉〜されどわが故郷〜』
震災直後から8ヶ月間、監督が高校時代を過ごした福島県双葉地域や、原発から
20km以内のほかの町村で暮らしていた人々の避難先に赴き、被災地の人々が抱え
る苦悩を撮り、声を聞き、まとめた一本です。

トークと合わせ、日々のニュースなどからは伝わってこなかったことをたくさん
知ることができました。本当に知りたいこと、知るべきことが、私たちだけでな
く、被災地の人にすら届いていない現実も見えてきました。

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冒頭、司会者(映画祭スタッフ)が、このトークの打ち合わせの際、監督から
「原発から何十kmも離れている東京近郊に住む私たちも、すぐに防護服を買った
方がいい」と言われたことに触れると、監督は、「原発を阻止するか稼働するか
という論議もあるが、それはそれ。今、もしかすると爆発するかもしれない。
爆発したらここはもうダメ。これが現実の問題。双葉では持っていなかったから
大混乱が起きてしまった」。

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そして富岡町の図書館長・小貫さんが壇上へ。震災直後の様子を語ってください
ました。勤務中に被災した小貫さんは、図書館のある建物がそのまま避難所に
なったので、手伝いをしながらそこで1日を過ごし、翌日、川内村や郡山に避難。
そのまま家には帰れなくなりました。原発事故のことを初めて知ったのは12日
だったそうです。

住民の避難は福島や郡山へ7、8時間もかかる大渋滞の中で行われていたとのこと。
もっと早く原発のことが分かれば防護服やマスクを備え、慌てずに済んだかも
しれません。

「情報公開が一番大事である」と監督は強く言います。「原発の稼働の是非を
問うのはもっともなことだが、それは近未来経済の問題であるということを認識
せねばならない」。
まずは目の前の現実を見ることが大事、と改めて気づかせてくれるお話でした。

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左から松林監督、佐藤監督、小貫さん

「僕のドキュメンタリーのお師匠さん」と監督に紹介され登壇したのは、この次
の回に上映された『相馬看花』の松林要樹監督。日本映画学校では佐藤監督の教
え子でした。震災直後、佐藤監督がいわき市の実家へ帰られたのを知った松林
監督は、数日後「(僕も)一緒に行きますよ」と声をかけたそうです。

震災直後は車でも26時間かかった福島県。ガソリンの問題も浮上しましたが、
松林監督はすぐガソリンも工面してくれたそうです。そして九州出身でありな
がら、南相馬を撮った松林監督の意識の強さに感心。同時期に、福島県浜通り
地区に密着した映画を撮った、日本映画学校の人としての因縁を感じたそうです。

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さらに、監督の高校時代の同級生で、双葉町を出て長年東京で暮らす女性3人も
登壇。彼女たちは震災後、故郷へ帰ることができません。
「新聞で、原発から4km以内の航空写真の中に、自分の家を見つけた。崩れて
いなかった。懐かしく、いとおしく感じた」「母に連絡して『規則が緩んだら
行ってみたい』と言った。母は(自宅の)お墓が荒れた状態を目の当たりにして
涙を流していた。まだ来ないほうがいいと言われるが、行きたいと思っています」
「どんなことでも起こるんだなっていうことが身にしみた。何があっても生きて
いくしかないかな。後ろばっか向いていてもしょうがない」。

ちょっと同窓会のような和やかさにも包まれましたが、彼女たちの話からは、
帰郷できない寂しさや、離れたところから故郷の苦悩を見ることでわいてくる
複雑な心境がひしひしと伝わってきました。

客席からは質問も飛び出し、最後に佐藤監督が、全国民が今、日本で起こって
いる問題に対して意識を持って議論し行動しなければならないと、訴えました。



トークに続いて、女優の秋元紀子さんによる「原発難民の詩」という詩集の朗読会が
催されました。この詩集は仮設住宅で踊りの師匠をしている佐藤紫華子(しげこ)
さんが、震災直後から書きためてきた詩をまとめたものです。

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今回のトークにも参加いただいた富岡町の図書館長・小貫さんがコーディネート
し、出版されることになりました。佐藤監督は佐藤紫華子さんについて、「震災
直後に詩を書きためるエネルギーも素晴らしいが、(今年6月に)500人もの人を
集めて踊りの発表会をやった、そのエネルギーがまた素晴らしい!」と讃えて
います。そんな監督の薦めで今回の映画祭での朗読会が実現しました。

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終了後もロビーには監督を囲む人の波


続く2本目は、『相馬看花 第一部 奪われた土地の記憶』

震災から3週間後、警戒区域・福島県南相馬市に入った松林要樹監督が、避難所
で共に寝泊りしつつ、住民の揺れる心に迫った記録です。

上映後、松林監督と、映画に登場した南相馬市市議会議員の田中京子さん、
夫で元JAそうま農協理事の田中久治さんが登場、ゲストトークを行いました。

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映画冒頭・3畳一間の自室で地震の揺れを記録するシーン、被災地に赴いた
きっかけ、タイトル『相馬看花』の意味などについて、松林監督が語りました。

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支援物資を届けに南相馬に入った監督を、荷物受け取りの立ち合いで迎えたのが
田中京子さんでした。「それからのご縁で、こめつきバッタのように、本当に
ずっと田中さんにひっついて撮影していたら、いつのまにかこの映画になった」
(松林監督)。当時、大手マスコミは原発から30km圏外からの電話取材がほと
んどで、20km圏内の取材はフリーか外国の記者以外おらず、情報がまったく無か
ったそうです。

ドキュメンタリー監督にカメラを向けられることに対して、田中さんご夫妻は
どう思われていたのでしょうか。京子さんはホテルに救援物資を取りにいった
時のことを語りました。

「『今の若者は』などと言いますが、行ってみて、今の若い者は頼りになるなあ
と、神様のように見えたのが最初でした。そこに監督さんが乗って来ているのも
まったく知りませんでした。最初は迷ったんですが、自分ではどうしても震災
後、カメラや携帯のシャッターを押すことができませんでした。それで、監督が
『大丈夫だよ僕が切ってやるよ』ということで、素直に、すんなりと『お願い
します』と、いうことで始まったんです」(京子さん)。

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ドキュメンタリー映画とテレビ報道の違いについて聞かれ、監督は田中さん
ご夫妻が、一時帰宅で持ち出す荷物をめぐり言い争うシーンを例に挙げました。
「たぶんニュースだったら『一時帰宅が行われました』と、一言ですよね。で、
持ち帰ってきたものを聞いて、『一時帰宅できてよかったです』のコメントを
取って、チャンチャンで終わるんですが、『そこで何がおきたのか』というとこ
ろがやってみたかった」(松林監督)。

その夫婦喧嘩シーンについて説明する久治さん。避難先のマンションに何も無く、
帰宅して帽子をひっかける竿に使おうとしたものや、書類を持ち出したところ
を京子さんにとがめられたそうです。「まあ迷惑だったとは思うんですけど、
たぶん、会場のお父さん方もそうなさると思うんですけどね。ひとつご理解くだ
さい(笑)」(久治さん)。
「あの荷物を持っていける部屋数が無いんです」(京子さん)。

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少々笑いを誘うシーンの再現に、会場からまた笑いが。映画には住民たちが笑う
シーンが多くありますが、監督は、皆さんは決して楽しくて笑っているわけでは
ないと強調。しかも、緊張を紛らわすために笑うしかなかった住民の方々が今、
笑えもしない状況にあるといいます。
「この映像は去年8月までの映像で、どうにかがんばろう!というのがあるんで
すが、どんどん、ますます先が見えない。そうなると本当に笑いでもごまかせな
いような状況になってきている、というのが今の実感なんです」。

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「原発事故はこれほど人をつらい目にあわせるということをぜひ広めていただ
きたい」という観客の声に、京子さんが原発事故直後の様子を語りました。

逃げ込んだ建物の窓ガラスすべてに目張りをしたこと、若い人を先に福島まで
避難させたこと(九治さんが若者を連れて逃げ、京子さんが高齢者と一緒に残っ
たそうです)、家族が別れるときは涙の別れだったこと、「2、3人いればいいほ
う」という状況で、無人の火葬場で次々遺体が火葬されたこと、お菓子屋さんが
くれた落雁を、後の人にも残るようにひとつずつお供えしたこと……。
同じ日本で起きたこととは思えない話に、会場が静まりかえりました。

「皆さんの近くにも双葉、相馬から来た方もいると思いますが、温かく迎えて
いただきたい。大きな気持ちで見守ってもらいたいと同時に、小さくても皆さん
一人ひとりの心がけで、その輪を広げていただければなあということをお願いし
ておきたいと思います」(九治さん)。

「上映会には必ず自分も立ち合いたい。インターネットで見た情報と、現場の
情報は違う。そのきっかけになってほしい。南相馬に行く前、行った後でも、
去年の4月の状況はこうだったというのがわかる映画だと思います。今後も、
この映画、次の映画も背負っていこうと思いますので、よろしくお願いします」
(松林監督)。

松林監督の力強い言葉と、苦境を訴えながらも、全国から駆けつけたボランティ
アの方々への感謝の言葉を繰り返す田中さんご夫妻の姿が印象的でした。

「3.11からみる世界〜未来(あした)を変える」と銘打った今年のドキュメン
タリー特集。震災後の日本社会、福島の現状、原子力発電…何かを考える契機と
なっていただければ幸いです。

以上、13日「アルテリオ小劇場」レポートでした。


posted by シネマウマ at 23:07| Comment(0) | TrackBack(0) | 映画祭レポート
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